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篤志解剖全国連合会の思い出

 

篤志解剖全国連合会
第六代会長 三橋 公平

 

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篤志解剖全国連合会(以下全連と略す)は昭和53年会員として竹重先生が就任され、私も理事の1人として運営に加わることとなった。献体運動は人々の知るところとなっては居たが、献体登録をされて居られたが不献体という例などがあり、献体という行為が国の承認が必要であるとのことで、献体法の制定のために全連としては、竹重会長以下努力することとなった。国会議員、文部省などの陳情先のリストの作成とその陳情先毎の陳情者の割付をする一方で必要な資料として過去に全連が発行した印刷物の再版をしたり、解剖学が医学の基礎であることを国会議員に充分理解させる為にその理由の紹介として、英国シンガー教授の論文を石井先生の御努力で資料に加えた。
昭和55年理事の任期満了があり竹重、郡司両氏は再選され教官側の副会長に三橋が加わった。献体法成立の運動の成果として、献体された方に対し、文部大臣から感謝状が贈呈されることとなり、昭和57年9月17日文部大臣室で第一号が渡され、解剖学会理事長をはじめ、全連から竹重会長、両副会長、秋田大学中尾教授などが参列した。
昭和58年5月、衆議院と参議院で献体法が可決成立した。このために行動が開始されてから6年の歳月を要した。
昭和59年、竹重会長は献体法の成立など大きな成果を挙げられて郡司氏に会長職を譲られた。
献体法の成立後、献体推進議員連盟が成立した。昭和60年役員として郡司会長、森田、三橋両副会長で運営されて8ヶ月、11月21日郡司会長が急逝され、御遺体は直ちに順天堂大学に献体された。郡司氏は、東京都墨田区に生れ、「チャキチャキ」の江戸っ子で献体運動を知るや順堂大学の白梅会の創設に参加され白菊会の理事長として白梅会の発展に努力された。
「無条件、無報酬」という正しい献体運動の確立に深く意を用いられ、全国の各大学、団体を説いて、はじめに「篤志解剖全国懇談会」を、更に46年只今の全連という立派な組織まで育て上げられた。全連においては人の和が最も大切であるとの氏の考え方から会長は広く各地の団体の方を選出するよう努められ、常に御自身は縁の下の力として会長を助けられた。全連会長として病をおして会合に出席されるため旅行中に病を得られ、大学病院に入院して、大学に迷惑をかけてはならないと、自宅で静養中に逝去されたのは、全連会長として職務に殉じた名誉の戦死といえよう。
一方全連と表裏一体の協会も再建され、全連と協会との提携、協力の約が出来上ったばかりであったので三橋が全連会長代行となり、昭和61年に会長に就任した。61年4月昭和大学で郡司会長の追悼式が行われ三橋が弔辞を捧げた。以後、歴代の会長の御盡力で順調に運営されている。

 

 

 

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